2024年10月7日月曜日

本日のライフワークとディープニッチ

 Sonyの名機!

ECM-56A

本日、XLR化が完了。

接点磨いたり、スイッチの半導通を接点復活処理で取ると…ノイズ消えました!等メンテナンス中!


久々の通電なのでエージングも込みで通電させっぱなしで放置します。


しかしマイクと対向したときの芯の太さとピントの定まり方は絶品です。

本当に年数を感じません。


しかし、メンテナンスが非常に重要なので、ヴィンテージマイクは根気の良さも扱うには必要です。


しかし、恐ろしい程録れるので、メンテナンスしてでも使う価値はあると思います。

指向性とゲインだけ優れているのではありません。


その2点だけなら近代に生産された、電気的に安定している組み立てられたばかりの最新マイクでも充分です。

中国製でもさして日本製との優勢は感じません。


しかしヴィンテージマイクが優れているのはあくまでもその音質であり、音の捕まえ方にアドバンテージがあるというだけです。


昔放送局や音楽スタジオで従事していた当時を知る人の懐古主義のコレクションにしては、値段のつき方がおかしいと思います。高過ぎです。

しかし、それが成立!?(まぁ価値観色々ありますが)しているのは、それ以外の明らかな理由があるからです。


僕はそれこそ音質に尽きると思います。

そうです。音の質感です。

艶やかだとか、存在感が強いとか、人が弾いてる雑っぽさとか、機材が持ってる特有の高音とか。

要はひと癖あり、個性が強いこと。

これに尽きます。


こここそが大味で現代のいくら高級なマイクだろうがエンジニアの評価が高かろうが、敵わないところです。


EQだのフィルターだの位相調整だのリヴァーブやコンプなどで作り込んで熟成していく音が…


マイクを向けた時点で既にほぼ出来上がってる。事です。


嘘みたいですが、これは実際に経験しないと解らない事だと思います。


音の拡がりや奥行き、飽和感がもたらす力感。この味こそが歴代の名機の証です。


しかし、マイクを向けてヘッドホンでモニターした時点では現代の優秀なマイクとの音質差はごく僅かな変化でしかなく、結構ボリュームを上げて聴くか、HAを高めにしてクローズで録るかしないと殆ど差はないと主張する方も多くて、そう感じるのも無理は無いのです。


本当のところ、録音してミックスダウンで音を混ぜたり重ねたりしたときに初めてその差は顕著になります。

それは少しの差ではありません。小型スピーカーで小音量で聴いてもわかります、明らかに違います。

音の残り方や存在感、味付けしたフレーバーの効き方に大きな違いとやりがいを与えてくれます。


ざっくり言うと、フェーダー下げても音は萎まず後ろに下がってくれて埋もれない、フェーダーを上げればガッツリ濃く存在感があります。

そしてEQの効き方、かかり方がアグレッシブになります。概ねこのあたりで気が付く事でしょう。


そしてマスタリング等の音圧調整まで来たときのサウンドの崩れなさ。これは多くがモニター環境が悪いとか、位相が分かってない人が触るからだとか、EQのポイントが悪いとか腕前と知識、スキルが大半の問題と考えられています。

僕もそうと思っていましたが、ヴィンテージマイクや所謂長年プロ定番の名機を実際に使って初めて体感しました。

EQが位相をとかリニアフェーズを使うとかステレオイメージャーで拡げるとか…どっか行きました。


気になるポイントをEQで2箇所程ホンの少しなんとかすれば、一瞬で狙い通りのサウンドに…拡がりも出ます、ピントも合います。あっさりでした。

そりゃそうですよね。EQもダイナミクスもさわる箇所が圧倒的に少なくてすむわけですから、多少荒くたくEQしても、リミッターをハードにかけてマキシマイズしても、崩れませんでした。


それがあのとき感じた、小さな、僅かな音質の差だとは、にわかに信じられませんが、明らかにそうでした。古風な定番マイクを使っただけで、知識も経験も無いに等しいのに、悩みが解決してしまいました。数多の市販音源と遜色ないところまでは持ってこれてしまいました。


その後、古着屋さんに何故か売られていたヴィンテージマイクの名機を買って、対に買わなくてもみんな持っていてライブハウスやスタジオに行けばある現代のマイクや機材で録音から比較しながら1から録音やり直しました。

そして、現代の優秀なマイクから録音を初めてふと気が付きました。最初にマイクを向けて感じた事は…

「理想の音とは?………」

無難に録れ過ぎてイメージがわかないほどに程遠い出音でした。

それでもこの時点ではヴィンテージ個体との音質差は僅かなものです。


そこからEQしたり僅かな角度調整やHAのゲイン調整で追い込んでいく。ここからが経験と知識がモノをいうプロの領域だと思い込んでいたので、あれこれ15分くらいピアノの前であーだのコーダの…EQも絶妙に決まって、よしこれだ!と思って、


次にヴィンテージの名機をセット!


なにも考えずに、丹念にセットしたマイクの横に立てて、HAのノブをぐいっと右に………

2秒後にヘッドホンを外しました。

雷に撃たれたようなショックとある種の強烈な合点があって固まりました。


それは僕がミキシングで仕上げようとしていた音の遥かに先を行っていました。目指していたプロの音、実直な音質そのものでした。

狙いもつけていません。EQもしてません。HAも音が来てこの辺かな?で手が止まった位置。VUすら見ていません。しかし既に洗練された見事な出音に焦りショックで仰天しました。

そして次に狙いをつけようとマイクを動かしても、響きや音色がEQの用に変わるだけでそんなにサウンドが的外れにならず、神経質に狙わなくても狙い通りのサウンドになりました。

「何故だ!この作業こそがプロの為せる業ではないのか!?素人録音とプロの差がハッキリ別れるポイントじゃないのか……」そう考えて愕然としました。

それからEQ、効きの豪快さにさらに焦りました。録れてる音の密度が格段に違うことに、ここでようやく気が付きました。


ここで、鋭い方なら、マイクは保管状況があるから新旧にかかわらず…、と言うはずです。

しかし、片方は最近DTMを始めた友達が大枚叩いて買って3ヶ月も経たない防湿庫保管品、片やヴィンテージマイクは1981年製。古着屋に裸で置かれていて、中のウレタンは加水分解でボロボロ触れば崩壊のやれやれ品。


全うな理屈は全く通用しませんでした。

(それでも真のプロこそは防湿監理して大切に管理していますが)


なのにそれでもこの差は、音量やEQ、ミックスのブレンドバランスを触る程大きな違いとなり、マスタリングまで来た頃には、同じテイクを違うマイクで録っただけなのに、もはやヘッドホンの音漏れで充分にわかるほど、もはや別物でした。

ピアノも声も出た途端から明らかに音の飛び方がもう違います。

殆どEQ等もヴィンテージマイクの方はしていません。充分録れてましたから。


でも新品マイクも充分に録れているんです。音量だけは。

ではなぜEQになるのか、何故少しでも角度や距離を変えただけで、サウンドがガッツリ変わったり、逃げたりするのか。


これが音質の差か…と。思い知らされました。


ボロボロの名機の方がより遠くにマイクがあるのに、遥かにシャープに充分芯が録れて、とくにシビアに狙っても無いのに大体音のする方に何となくキュッと向けるだけでガッツリ楽器や声の有機的な音が入ってくる。


そして離して録れる副産物として、響きが自然にとれるから、より音も太く馴染みが良くなり一層の実在感が出せる(当たり前なんだけどね) 


しかしそのMixをお手本として同じテイクの現代新品マイクでMixとマスタリングまで1日がかりで使えるツール全てを駆使して追い込んで見たが、近づく事すらできなかった。

それこそ沢山大胆なEQをして派手に位相が乱れて変なピークやディップに悩まされ、音の細さにやきもきして、リヴァーブやコンプをかけて、音は太くは出来たが、あの説得力や迫力が出せず、結局自分の中では仕上げきれなかった。ヴィンテージマイクでMixした段階の音にすら到達しない。平凡で平面的な力なき音質にしかならなかった。


結局プロのエンジニアが言う、そんなの使いすぎるからそうなるんだ!


の、その言葉にすっぽりハマってしまった。悔しいけどすこしだけ勉強になった。


でもヴィンテージマイクの個々のステムをMixしている段階でフェーダーを引いた時の音の残り方やボーカルとの音の混ざり方、EQしたときの効きの豪快さ、ポイントが当たったときのサウンドの決まり方は全く異次元の違いでEQで位相がとか出くわす前に狙い通りのサウンドが炸裂しててノブを回すのを躊躇するくらい決断に勇気が要ります。

その辺りの反応や精度が全く違うので、録れてる音の質の違いがこんなに大きな差になってくる事を経験すると、その気持ちの差等の細かい音質の違いを凄く気にかける時期が、やがて訪れる訳です。


しかし、一度でもこんな経験をすれば、ミキサーに立ち上げて、EQしないと気がすまないようなステムは録音しそびれてると言うことにさっと気がつけるようになります。


そうするとマイクと楽器の音に対する向き合い方が変わってきます。

ひとそれぞれだと思いますが、僕は変わりました。


そして、何故そんなにもヴィンテージマイクに魅力があるのか、その理由は何なのか?噂か眉唾か?その真理を探る旅をここ4年程続けています。


素材から、マイクを設計と開発をした人物の心理から、製造担当者の執念と情熱から、当時の世界に向けたMade in Japanのプライドから、それらを紐解いていくわけですが、あまりにも簡単にそのマイクがいかに優れているかわかるほど、素材からコストの捌き方、人間としての人生を賭けたエネルギーと、そのあたりが技術に結実していて、その逸品に宿っています。


時代の許容範囲と人の動いていた量とかけられたコスト、新鮮な金属の純度と精錬技術等が2024年、今とは桁違いです。


それがそのままあのサウンドの違いかと推測すると、あまりにも綺麗に合点します。

組み付けの精度、金属の面積の広さ、質量、光沢の違いなど、目で見て触って、明らかに違いがあります。

これでは同じ音が出てくるわけがありませんし、デジタル技術で模倣しようもありません。物理的に、根本的に全く別物でした。


これで、次にはどの時代がピークで衰退期とその理由を探り始めました。

そしてピークと思われた絶頂の音がいかなるものか、衰退したサウンドはどんなものなのかを聴いてみたくなり、それぞれを捜して聴かせてもらい、感じた事は、


色褪せない魅力や個性とは強くて、一瞬でその人の人生の永遠のモノにならなくてはならない。


それほど人間の感性を揺さぶる強烈な棘がその人の営みや価値観をより豊かに変貌させる。それが長年を経てなお評価に値する。

それこそがヴィンテージ。

生き長らえる伝説。

今日も伝説を更新し続ける。


やはりプロフェッショナルの拘りは半端ではなく、何故ヴィンテージをこよなく愛するのか。身に染みた。


そして、僕自信もそこをもっと求めていきたい。


それは本当に素晴らしいサウンドが出せるメソッドがつまっているからだ!