2024年7月11日木曜日

僕たちの豊かさを支えていたものって一体なんだったのか。

 


2024年7月11日

City和歌山 3F


そう、ここは僕たちの青春の遊び場だったし、個人店舗も結集して個々がキラキラとしていた。


集う人の笑顔も溢れていた。

目の前の催し物広場、ガラガラ抽選会でキーホルダーが当たっただけで、ちょっと嬉しくなるくらい、希望に満ち溢れていた。


それに若者が集い、服や古着が沢山売れていたし、見知らぬ僕にウィンクを決めてくる女子高生もいた。

それくらいにここに出掛けてくることにハッピーと余裕があったのだろう。


当時は自分もそうであったと。今思うところがある。


4階はボウリング場があって賑わっていて、ボウリングの音が聴こえてきて、友達とかと、また行こうね!って、言えるだけでも幸せだった。

行きもしないのに、やっててくれるだけで活気があってみんな元気だったし、来週行こうって楽しみができる喜びもあった。


ちょっとおしゃれな鞄が売ってたり、1階の食堂で食べる380円のうどんで満たされたり、かき氷で涼んだり。


音楽教室帰りの、楽器を背負ったお姉さん達がウキウキして歩いていたり、風船片手の子供が飛びはねながら歩いていたり、ね。


本当に何気無い一瞬の出来事なんだけど、全て楽しみが詰まっていて、しっかり遊んでいたし、お陰で気持ちに余裕があり、希望に溢れていた。

お金使いすぎて財布に余裕が無くても、買いもの袋片手に、ニコニコしてた。


主婦の人も、音楽教室に通うお父さんが順番待ちしている姿さえも…


この建物の色のようにパステルカラーで明るい黄色のような感じだった。

僕も何故かウキウキしてた。


その頃のサウンドが雑踏やお店の音が、今はこの物静かな空間に響いていた。

今ならまだ思い出すことができるんだ。


でも何気無い幸せをせめて、保つことがこんなにも難しいことなのか。と今思う。


みんなが慌てるように店を出て、当たり前にあったものが、サウンドが光が、笑顔が、ひとつひとつと灯りを落としていく。

色褪せる色彩、静まる雑踏、響き渡るエスカレーターの残された作動音。


未来を信じて、生活をかけて旅立った痕はあまりにも静かに疲れはてていった。


希望よ、何処へ。


がんばり過ぎたのか。それとも単なる時代の波なのだろうか。


みんな余裕が無くなってきている。

僕はいつもここに来るとそう思う。

まるでここは時代を映す鏡のように。その時を象徴するかのように、形を遺して息を潜めている。


再び灯りがつくかどうか。行方がわからない催し物会場のレガシーな看板。

今思えば時代相応なのかな。当時のここのデザインは斬新にポップだった。だからこそ、レガシーさを感じるほど新しかった。それもワクワクの後押しだったのかもね。

それが今や、黄色いプラスティックの鎖でしきられた静寂の奥行き。かつて老若男女が小さな幸せと、ちょっとしたラッキーを求めてさ迷っていた空間。


為す術もなく置き去られた、時代の産物が通路を照らす最小限の灯りとともに、次なる音を待っている。

ただ静寂とともに、静かに、そこで。


本当に為す術もないのだろうか。

僕がここに来る理由は昔の出来事を思い出しに来ているのではない。


今という現実を、この切実な現状を全力で噛み締めに来ているのだ。


何も出来ていない自分が以下に小さな存在であるかを思い知ると共に、沢山の商いがこうして大きな希望や何気無い笑顔を支えていたという現実を、ここでは知ることができる。


そして社会とは、風潮とは、振り替えると見えてくるものがある。


でも廃れているようにも思えない。不思議な感覚にいつも陥る。

人間とは背中合わせの絶望とともに希望を持って生きれる生き物なんだと、僕は思っている。


その希望は何気無い小さな事や、人や人同士が結託し、なにか自分達で出来ることを探り、小さくてもひとつひとつコツコツと始めていくことで、明日もここがある。また次に集う心の中の約束だったり、そういった目に見えないものが希望に繋がっていって、小さな優越感や、ちょっとした避暑地というだけでも人は感謝を頂き喜びに変わっていく。


しかし、それも表裏一体だ。

まさか今こんなことになるとは、当時一体誰が想像できたことか!


でもしっかりと受けとめなければならない。

何も出来なかった1個人の行動と、この現代の極めてパーソナル化された時代現状を。


そしてそれらは、何を拐っていったのかを。知らなければならない。


そして、人間に希望を。

そんなに簡単では無いことはわかった。でもほんの些細なありふれた事だった事もわかった。


無駄だ!と思いつつも、楽しんで、答えだけを求めすぎず、ハズレても笑えるガラガラ抽選のように、正解の無い事もドキドキしながら、楽しみながらやっていくことこそが、希望を持つ道標なんだと。この静寂が静かに語りかけてくる。


希望と絶望は裏腹だ。

それも長い目で見て単なる波の引き際なのかもしれない。

大切にすべき事はなんなのか、忘れてしまったものは何か。


ここは僕にいつもそれを教えてくれる場所。


かつては僕も持っていた希望の欠片をひとつ。波をひっくり返すきっかけを教えてくれているような気もする。


僕は今、何をすべきか。

まずは希望を持とう!